介護離職からパートで復帰するまで|50代・ブランク半年でも仕事はありました

朝の玄関に揃えられた靴とバッグ。これから出かける気配 仕事とお金

介護のために仕事を辞めて、「もう一度働けるだろうか」と不安になっていませんか。

私は50代で介護離職をして、約半年のブランクのあと、パートで仕事に戻りました。

先にお伝えすると——そんなに怖がらなくても大丈夫です。

この記事では、私が仕事へ復帰するまでに実際にやったことを、順番にお話しします。

※仕事を辞めるまでの経緯は、こちらの記事に書いています。

「介護離職して分かった、辞める前に知っておきたかったこと」

ブランクの半年は、「空白」ではありませんでした

整理された書類の束と開いたファイル、ペン

仕事を辞めたあと、私は失業給付を受けながら、ハローワークに登録して仕事を探していました。本格的に応募するようになったのは、受給期間が終わりに近づいてからです。

その半年間、私はただ「休んでいた」わけではありません。

母との新しい暮らしを整えるために、やることがたくさんありました。

  • 母が引っ越しで持ってきた荷物の整理
  • 不用品の処分
  • 引っ越し先でのかかりつけ医探し
  • 母の病歴や服薬内容の整理
  • 市役所などでの各種手続き
  • 介護サービスの見直し

実家でお世話になっていたかかりつけ医へ連絡し、紹介状を作成していただきました。それを持って、引っ越し先で母に合う内科を探し、受診しました。

住む場所が変わると、病院も介護サービスも、ほとんど一から探し直さなければなりません。

振り返れば、この半年は「何もしていなかった期間」ではなく、母の介護と、これからの暮らしの基盤をつくっていた時間だったのだと思います。

病歴は、時系列でまとめておくと役立ちます

特におすすめしたいのが、親の病歴を時系列で一覧にしておくことです。

いつ、どこの病院で、どのような診断を受け、どんな治療をしたのか。手術歴や入院歴、現在服用している薬なども、分かる範囲でまとめました。

新しい病院を受診するときも、介護施設へ申し込むときも、病歴は必ずと言ってよいほど聞かれます。

そのたびに記憶をたどるのは大変ですし、緊張していると、正確に伝えられないこともあります。

一度まとめておけば、必要なときにコピーして使えます。私はこれを作っておいたことで、その後の手続きがずいぶん楽になりました。

もし今、履歴書の空白期間を気にしている方がいらしたら、その時間は決して「何もしていなかった空白」ではありません。

家族の暮らしを整え、介護を続けられる土台をつくっていた、大切な時間です。

仕事より先に、「働ける時間」を決めました

壁に掛かったカレンダーと、書き込まれた予定

仕事へ復帰するにあたって、私が最初にしたのは仕事探しではありませんでした。

母のデイサービスの組み替えです。

それまで母は、運動を中心とした短時間のデイサービスに、週2回通っていました。

それを、昼食付きの一日型デイサービスへ変更し、週3日通ってもらうことにしました。

母がデイサービスにいる時間帯が、そのまま私の「働ける時間」になります。

その枠を決めてから、ハローワークで仕事を探しました。条件は、母がデイサービスへ行っている時間内で働けることでした。

見つかったのは、10時から16時まで、週3日の事務の仕事です。母のデイサービスの時間と、きれいに重なる働き方でした。

仕事に生活を合わせるのではなく、介護の時間割に仕事をはめ込む。

この順番で考えたことで、介護と仕事を両立できる形が少しずつ見えてきました。

※この「働ける時間」を作ってくれたのが、デイサービスでした。
「デイサービスは早めに検討してよかった|90代の母を通わせて分かったこと」

通勤電車で気づいた、小さなご褒美

仕事に復帰した日、通勤電車の中で、ちょっとした感動がありました。

以前は、行きも帰りも満員電車に揺られながら通勤していました。

ところが、10時からの勤務になると、「この時間の電車は、こんなに空いているのか」と驚くほどでした。

しかも、座れるのです。

フルタイムで働いていた頃には知らなかった、「座れる幸せ」でした。

働き方を変えることには、こうした小さなご褒美もあるのだと思いました。

50代のパート探しは、思っていたより選択肢がありました

仕事を探し始めるまでは、「50代で、半年のブランクがあっても、働ける場所はあるのだろうか」と不安でした。

けれど実際に探してみると、私の条件に合うパートの求人も見つかりました。

私はパソコンを使う作業が好きで、医療系の事務などの経験もあったため、それまでの職歴を強みとして見ていただけたのだと思います。

ハローワークへ登録して仕事を探していたときには、私の登録内容や経歴を見た求人企業から、直接メールをいただいたこともありました。

「ぜひ、うちに来ませんか」という、逆指名のようなお話でした。

ただ、その仕事は正社員の事務職でした。

母のことを最優先すると決めていたため、そのときはお断りしました。

今から思うと、なんてもったいないお話だったか……。

そんな気持ちも、正直なところ少しあります。

それでも当時は、条件のよい仕事を選ぶことよりも、母のデイサービスに合わせて働けることを優先しました。

「時間と曜日が合う仕事なら、職種にはこだわらない」

最初に優先順位を決めていたため、迷わずにすみました。

焦らずに探すことができたのは、失業給付という土台があったからでもあります。

※失業給付については、こちらの記事に書いています。

「介護離職して分かった、辞める前に知っておきたかったこと」

心構えは「何歳でも学ぶ」と「謙虚さ」

新しいノートと削られた鉛筆、小さな観葉植物

新しい職場に入るとき、私が大切にしていたことが2つあります。

ひとつは、何歳になっても学ぶという気持ち。

もうひとつは、控えめな謙虚さです。

50代まで積み重ねてきた経験は、自分の財産です。

けれど、新しい職場では新人です。

「気持ちを新たに、なんでもやってみよう」

その姿勢で入ると、これまでの経験も、少しずつ新しい仕事の中で生かせるようになりました。

実は、引退した男性が再就職する映画『マイ・インターン』も観て、参考にしました。

経験を重ねてきたからこそ、分かることがあります。分かるからこそ、前に出すぎず、そっと周りを支えることもできます。

主人公の姿から、50代で新しい職場に入るときの立ち位置を教えてもらったように感じました。

年齢は、威張るためのものではなく、人に寄り添う力にもなるのだと思います。

働ける時間は、介護の段階とともに変わりました

窓辺に並んだ3つの小さな鉢植え。それぞれ育ち方が違う

その後、母がサービス付き高齢者向け住宅へ移ってから、私はもう少し長く働けるようになりました。

そして母は、デイサービスからサ高住、特別養護老人ホームへと、少しずつ生活の場所を移していきました。

振り返ると、そのたびに母もためらい、新しい環境に戸惑っていたと思います。

それでも母は、次々と変わっていく状況を、その都度受け入れてくれました。

90代になってから住む場所が変わり、周りの人も、一日の過ごし方も変わる。それは、決して簡単なことではなかったはずです。

ここまで来られたのは、私だけが頑張ったからではありません。

母もまた、戸惑いながら一つひとつの変化に対応し、頑張ってくれました。

長いあいだ一人で暮らし、自分のことは自分でしてきた人だからこそ、新しい場所へ踏み出す力も持っていたのかもしれません。

今の穏やかな暮らしは、母自身が頑張ってきた結果でもあると、私は思っています。

母との距離が一歩変わるたびに、私も自分の生活を一歩ずつ取り戻していきました。

※特養へ入居してから、家族の負担がどう変わったのかは、こちらの記事に書いています。
「特養に入居して分かった暮らしと費用|家族の負担はどう変わった?」

おわりに:介護離職は、キャリアの終わりではありませんでした

仕事に戻ることを、そんなに怖がらなくても大丈夫です。

もちろん、希望どおりの仕事がすぐに見つかるとは限りません。年齢や経験、働ける時間、住んでいる地域によっても、状況は異なります。

それでも、これまで働いてきた経験がなくなるわけではありません。

介護をしていた時間も、決して空白ではありません。

私は、介護サービスの時間を整え、無理のない働き方を探すことで、パートから仕事へ戻ることができました。

介護離職は、私にとってキャリアの終わりではありませんでした。

時間割を整えて、気持ちを新たに、小さく始めてみる。

遠回りに見えても、そのときの自分に合う働き方へつながっていくことがあります。

※母を引き取ってから特養へ入居するまでの記録は、こちらの記事に書いています。

『「若干毒親」の母を引き取って介護した私の記録』


今日という一日が、あなたにとって心地よい「ちょうどいい距離」の一歩になりますように。

きーのこと

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