母は80代前半のころ、両膝の人工関節の手術を受けました。
80代でも手術を受けられるかどうかは、体の状態によって異なりますが、母の場合は両膝を同時に手術することができました。
手術後のリハビリのために、しばらく私の家で一緒に暮らしたことがあります。
母を再び引き取るよりも、ずっと前のことです。
以前、こちらの記事で「また別の記事でお話ししたい」と書いていた、そのときのお話です。
→「『若干毒親』の母を引き取って介護した私の記録|同居・介護離職から特養入居まで」
この記事では、母の膝の手術とリハビリ、そして一緒に暮らした日々のことを、「私の場合」としてお話しします。
母が「両膝とも手術したい」と言った日
母は、もともとO脚ではありませんでした。
けれど、年齢を重ねるにつれて少しずつO脚になり、膝の痛みも強くなっていきました。
いつも膝を痛がっていた母。
そんな母が、あるとき自分から「手術をする」と言い出したのです。
しかも、片方ずつではなく、両膝を同時に。
「両方いっぺんにしたい」
そう希望したのは、母自身でした。
80代前半で、自分から手術を決めた母のことを、今でもすごいなと思います。
名医の先生を探して、病院を決めました

母の希望を受けて、私は自宅の近くで、名医と言われる先生を探しました。
予約をして受診し、検査を受けた結果、手術ができるとのこと。
初めて受診したのは夏ごろで、手術は秋でした。
先生からは、こんな言葉をいただきました。
「80代でも、まったく問題ないですよ」
とても前向きなお話に、母も私も背中を押してもらいました。
先生は院長先生で、ご自身もご高齢だったように記憶しています。
そのころ私は、扶養の範囲で医療関係の仕事をしていました。
手術の前後は有休も使いながら、1週間ほどお休みをいただくことに。
こうして、母の手術を迎えました。
手術の日、主人の目に涙が

手術の日は、主人も病院に来てくれていました。
手術が終わり、手術室から運ばれてくる母。
その姿を見た主人の目に、涙が浮かんでいました。
80代の母が、無事に手術を終えた。
よく頑張った、と思ったのでしょうか。
主人のその涙を、私は今でも覚えています。
入院は5日ほど。手術の次の日からリハビリが始まりました
入院期間は、わずか5日ほど。
思っていたよりも、ずっと早い退院でした。
名医の先生が何人もいらっしゃる病院で、手術を待っている方もたくさんいたように思います。
退院が早かった理由までは、わかりません。
母が受けたのは、人工膝関節置換術という手術です。
すり減って傷んだ膝の関節部分を人工関節に置き換え、曲がっていた脚をまっすぐにして、痛みを軽くするためのものでした。
手術は無事に終わり、あとはリハビリを続けながら、歩く力を取り戻していくこと。
その病院では、手術の次の日からリハビリが始まり、母も少しずつ歩けるようになっていきました。
退院後も、手術を受けた病院へリハビリに通う日々。
家でのリハビリも、母はきちんとこなしてくれました。
実家の雪が落ち着く春まで、一緒に暮らしました

退院後の母は、すぐには実家へ戻らず、私の家で暮らすことになりました。
母の実家は、冬になると雪が降り積もる地域です。
一方、私の住むところは、雪がほとんど降りません。
母は私の家から病院へリハビリに通い、冬の間を一緒に過ごしました。
病院への付き添い、毎日の食事、母の身の回りのこと。
そこに、私の仕事も重なります。
今振り返ると、毎日が母を中心に回っていたのかもしれません。
私のほうが、先に限界を迎えてしまいました
「母がまた自分の足で歩けるように、私も頑張らないと」
そんな思いで、毎日の生活を支えていました。
母もリハビリに一生懸命取り組んでくれました。
自分が無理をしていることは、わかっていました。
それでも、母が元気に歩けるようにと、頑張っていたのです。
けれど、そんな日々が続くうちに、少しずつ体調を崩していきました。
そのころは、母のことが体調不良につながっているとは、まったく思っていませんでした。
ただ、だんだん調子がおかしくなっていったのです。
自律神経の乱れから体調不良が続き、仕事も辞めることに。
しばらくは、外に出ることさえできませんでした。
失業保険の手続きもしていません。
調べる気力さえなかったのです。
半年ほど、心も体も弱ってしまった時期でした。
※このときの退職は、母を再び引き取ったあとの「介護離職」とは別のときのことです。
介護離職については、こちらの記事に書いています。
→「介護離職して分かった、辞める前に知っておきたかったこと」
母は、自分の足で実家へ帰っていきました

春になり、母は実家へ帰ることになりました。
私が体調を崩していたこともあり、駅まで見送ってくれたのは主人です。
母は、しっかり自分の足で帰っていきました。
手術の前は、あんなに膝を痛がっていた母が、です。
しかも、杖をつくこともなく。
両膝の手術を受け、リハビリを続けて、ここまで歩けるようになった母。
本当によく頑張ったと思います。
私が元気を取り戻すまで
私はその後、専門のクリニックや理学療法を受けながら、少しずつ回復していきました。
そんな中、体調を立て直すために、主人と相談して引っ越すことを決めました。
それまで暮らしていたのは、子育てをしてきた広い間取りの住まいです。
そこから、主人の職場に近い、夫婦二人で暮らすための小さな住まいへ。
私たちにとって、それは大きな決断でした。
けれど、環境が変わったことで、私の体調も次第に回復していきました。
そして、以前のように元気に過ごせるようになったのです。
障害者手帳のこと(当時の母の場合)
母はその後、手続きをして、身体障害者手帳が交付されました。
ただし、これは当時の制度での、母の場合です。
人工関節の手術を受けた方の身体障害者手帳の認定基準は、2014年に見直されています。
現在は、人工関節を入れたことだけで一律に認定されるわけではなく、術後の状態などによって判断されます。
詳しくは、病院の相談員さんや、お住まいの市区町村の窓口でご確認ください。
10年以上、畑仕事も家事も一人でこなしました

実家に戻った母は、また一人で暮らし始めました。
それから10年以上、畑仕事も家事も、すべて自分でこなしていたのです。
膝のことで通院することもなく、実家の近くの整形外科にかかることもありませんでした。
母が杖を使うようになったのは、再び私と同居を始めてからです。
実家では、ご近所の方に杖をついて歩く姿を見られたくなかったようです。
同居していたころの後半も、いろいろなところへ遊びに出かけていました。
あれほど痛がっていた膝を気にせず、長い間、自分の足で暮らしてこられた母。
手術を受けて、本当によかったと思います。
10年ぶりに、手術をしてくださった先生のもとへ
母を再び引き取って同居を始めてから、半年ほどたったころのことです。
以前O脚がひどかった側の膝に、動くときだけ少し痛みがあると話していました。
そこで、10年ぶりに、手術をしてくださった先生のところを受診することに。
先生は、変わらずお元気で、若々しくいらっしゃいました。
手術をしたときの画像と見比べながら、
「まったく問題ないですよ」
と言ってくださいました。
あとは、運動をして筋力をつけるといい、とアドバイスをいただき、ほっとしました。
長い年月がたっても、お元気な先生にまた診ていただけたことが、本当にありがたかったです。
年齢とともに、母の筋力も少しずつ落ちてきています。
今も動くときには膝に軽い痛みがあり、痛み止めのお薬を飲んでいます。
それでも、座っているときには痛みがない。
それだけでも、救いだと思っています。
手術して、よかったと思うこと
母が手術を受けて、本当によかったと思っています。
年齢とともにO脚になっていた足は、手術後、まっすぐになりました。
正座はできなくなりましたが、しっかり歩けるようになり、膝の痛みもなくなりました。
当時の私たちにとっては、すごいことでした。
今の医療では、手術や治療の方法も変わっているかもしれません。
だから、人工関節の手術を誰にでもおすすめしたい、というわけではありません。
手術を受けられるかどうかも、一人ひとりの体の状態によって違います。
迷っている方は、主治医の先生とよく相談してみてください。
それでも、母がここまで自分の足で歩いてこられたのは事実です。
もし母が、手術を嫌がっていたら。
あのまま「痛い、痛い」と言いながら、だんだん体力が落ちていったかもしれません。
そう思うと、80代で思い切って手術を決めた母は、すごかったと思います。
母が自分で決めたことを、叶えてあげられてよかった。
今は、そう思っています。
母が自分の足で歩けるようになったことは、本当にうれしいことでした。
けれど、母を支えることに一生懸命だったあのころの私は、自分の体調にも、もう少し目を向ける必要があったのかもしれません。
※母を引き取ったタイミングのことは、こちらの記事に書いています。
→「親を引き取るタイミング|しっかりした母だからこそ、一人で決めていました」
今日という一日が、あなたにとって心地よい「ちょうどいい距離」の一歩になりますように。
きーのこと


